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Podcast「井戸端かいご」第1回目の番組を配信

今回は自宅の近くで生活していた母親が家で転倒したことをきっかけに介護することになった渡辺氏の体験談をお話しいただきました。

●「井戸端かいご」第1回目の番組は下記URLをクリックしてください。
https://apple.co/35bPXgW

●文章で番組をお楽しみになる方は以下の書き起こしをご覧ください。
【山川】今回、第1回目のゲストでお呼びするのは、ナレーションでご協力いただいている安藤夕子さん。それと、安藤夕子さんにご紹介いただいてご縁ができた、渡辺加奈子さんをゲストにお呼びして番組をスタートしたいと思います。

【安藤・渡辺】よろしくお願いします。

【山川】第1回目の放送としてお呼びしている渡辺加奈子さんは、心と体を元気にする食事の考案をする料理研究家としてご活躍されている方で、最初はランチなどを通して安藤さんと3人でお話しをしていたのですけど、その中で渡辺さんもご自身のお母さまを介護されたという経験がおありだったので、ゲストとしてお招きしました。

その中で、渡辺さんが介護で経験したこと、また長年介護をされてきた中で学ばれたこと、そして、その介護を振り返って感じたこと。そうしたことは番組のリスナーの方の参考になる部分もたくさんあるかと思います。今回は、3回に分けて番組を始めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

【安藤・渡辺】よろしくお願いします。

【山川】早速ではありますが、ナレーションでもお話しした実際に介護を経験された方や、現在介護中の方、その他にも介護サービスを提供する事業者さんをゲストにお招きして、いろいろなお話を聞いていけたらと思います。

今回、第1回目としては、現在は親の介護を終えているということになるのですが、渡辺さんの最初の介護をするきっかけの前。はじめにお元気だった頃のお母さまのことについてお伺いできますか?

【渡辺】母が亡くなって、ちょうど1年になります。母は宮崎で長年暮らしていましたが、年を重ねるとともに心配事が増えてきたので、私と兄がいる福岡に来てもらいました。母が72歳のときです。

福岡に来て母は兄と2人暮らしをしていました。はじめの2年くらいは兄の身の回りの世話もできていましたが、74歳のときに足の巻き爪の影響でそうしたことが少しずつできなくなってきたのです。

病院に行けば良かったんですけど、病院が大嫌いな人だったので、そのままにしていました。そうしたらあるとき、巻き爪で歩きにくかったということもあり、トイレで転んでしまったのです。

そのときは、運良く骨折することもなかったのですが、兄がちょうどお風呂に入っていたので、母の転倒をすぐに気づくことができませんでした。そのため、兄がお風呂から上がってくるまで、ずっと転んだままだったのです……。

【山川】声も出せないような状態だったのでしょうか?

【渡辺】呼びはしたのでしょうけど、転んだままだから。また兄もお風呂に入っちゃったから、全然聞こえなかったようです。お風呂から上がってきてみて、母がいないということで、ようやく異変に気づいたのです。

【山川】それはびっくりしますよね。

【渡辺】見たら、トイレで母が転んでいたのです。痛々しい状況でした。骨折などはなかったので良かったのですけど、その転倒で腰を痛めてしまいました。その日の22時ごろに兄から「お母さんがこんなだった」という連絡が私に入りました。私は車で15分のところに住んでいましたので、すぐに母と兄の自宅に向かいましたが、到着したとき、母はまだ倒れた状態のままでした。兄はどうすればいいかわからなかったのです……。

実際、あまりにも衝撃的な転び方だったので、よく骨を折らずに済んだなと思いました。ただ、この転倒がきっかけで母のことが心配になり、私が調理、掃除、洗濯などを一手に引き受けるようにしたのです。母が76歳ぐらいのときだったと思います。

【安藤】お母さんは、どういう性格の方でしたか?

【渡辺】母は昭和一桁なので、一本ビシッと筋が通ったはっきりした人でした。

【安藤】子供に頼るのはイヤだとかはありませんでしたか。実際、親を呼び寄せるときに拒否されるケースをよく聞きますし。

【渡辺】72歳にもなると母自身も健康的な不安があったのと、娘の手にかかりたいという気持ちを持っていたようです。

【安藤】実の娘ですからね。

【山川】では、すんなり一言で説得できたのですか?

【渡辺】それなりに大変でしたよ。

【山川】呼び寄せるときに。

【渡辺】私の場合、子供はいないけど、主人に対する気兼ねもありましたので。ただ、ぐちぐち言われるようなことはありませんでした。

【安藤】住み慣れた土地から離れたくないとか言われたりしませんでしたか?

【渡辺】もともと、母は山口県の人だったのです。父の仕事の関係で宮崎に行ったので、嫌がられたりはしませんでした。年も取ったし故郷が近い方が良いという気持ちを持っていまし、兄や私の自宅の近くで暮らしたいという思いもあったようです。

【安藤】山川さんに質問ですが、そこが、すんなりいかないケースというのはよくあるのですか?

【山川】私の場合はすんなりいかないケースで、相談を受けることが多いです。

【渡辺】実際は1人で暮らしの親が心配だから、子供さんが「一緒に暮らしたい」と言っても、住み慣れた家がいいとおっしゃる方は多いと思います。

【山川】一般的には人の世話になりたくないという方々が多いのですが、お母様の説得はスムーズにいったのですね。あとは渡辺さんのご主人も受け入れてくれたというさまざまな要因がいい形で合致したのもよかったですね。

【渡辺】一番の理由は兄が転職で宮崎を離れなければならなかったということです。当時から宮崎で兄と2人で暮らしていましたので。しょうがないという気持ちが半分、あとは自分の期待したとおり娘の自宅に近くなる、それと故郷の山口も近くなるというのが半分。

【安藤】そういう状況になったとき、加奈子さんはどんな気持ちでしたか?

【渡辺】主人と結婚するときもそうだったのですが、もともと私は「母を見てやりたい」と考えていたので、「これで母の世話ができる」という気持ちでした!

【安藤】もともと、加奈子さんとはお友達なのでいろいろお話をする中で、介護真っ最中のときのお話なども聞いていました。6年間、すごいことをしてこられているので、まだまだお話を聞いていきたいです。

【山川】そうですね。実際、巻き爪などで転倒した後にどういった介護が必要になったかというのを第2部でお話を伺えればと思います。

Posted in ポッドキャスト「井戸端かいご」

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